宮澤エマさんは、女優、タレントとして活躍されています。
ハーフの綺麗なお顔立ちなのでご両親が気になりますよね。
父親はアメリカ人で母親は日本人ということですが、なんと母方の祖父は元内閣総理大臣!
そして、父、母、姉、祖父は、かなりの経歴をお持ちで、とても華麗な家系で育ったようです。
そこで今回は、宮澤エマさんについて、ハーフで華麗な家系図についてご紹介していきます。
宮澤エマはハーフで華麗な家系図
宮澤エマさんの家族構成は、父親、母親、姉の4人家族です。
そして、宮澤エマさんは父親がアメリカ人、母親は日本人のハーフです。
更に、宮澤エマさんの母方の祖父は、第78代内閣総理大臣を務めた宮澤喜一さんだということです。
とんでもなく華麗な家系図ですよね!
それぞれ、経歴もビックリするほど凄いご家族です。
お一人ずつご紹介していきます。
宮澤エマの父はアメリカ人で母は日本人
父親
宮澤エマさんの父親はアメリカ出身のクリストファー・ラフルアーさん。
元米国外交官だったクリストファーさんは、JPモルガン証券株式会社副会長、政府関係・企業責任担当、在日米国商工会議所(ACCJ)の会長など重役を歴任した凄い経歴の持ち主です。
こちらが、経歴をまとめたものになります。
- 1991~1993年:米国国務省ベトナム、ラオス、カンボジア担当オフィスディレクター
- 1993~1997年:在台湾米国協会 副理事
- 1997~2001年:在日米国大使館 首席公使
- 2001~2003年:米国国務省 東アジア・太平洋地域担当首席次官補
- 2003年~2004年:将来の日米および米韓同盟を協議する米国国務省のチーム座長
- 2008~2011年:JPモルガン証券株式会社副会長、政府関係・企業責任担当
- 2011年~ :LMアソシエイツ設立、社長に就任
引用元/参考:モーリーン・アンド・マイク・マンスフィールド財団
とても凄い方ですよね!
母親
宮澤エマさんの母親は、ラフルアー宮澤啓子さん。
母親も凄い方で、現在は原宿でジュエリーの輸入・通販ビジネスを行う会社の代表取締役を務めているそうです。
略歴については、こちらをご覧ください。
< ラフルアー宮澤啓子・略歴 >
慶応大学法学部卒業後 コロンビア大学でMBAを取得。
フランスに留学後 ドイツ・ルフトハンザ航空の CAとして国際線に乗務。
その後、同社広報部。
外資系化粧品会社の 広報・広告ディレクター。 アメリカ人の外交官(元駐日アメリカ公使)と結婚後、 夫の転勤に伴い、フランス・パリで 森英恵氏のプレタポルテ販売会社に 勤務したのをはじめ、ファッション業界で働く。
1992年クラブサー設立。 トラベルジュエリーのコンセプトを 初めて日本に紹介し、商標登録。
引用元:クラブ・サー office
ラフルアー宮澤啓子さんは、身長が153cmと小柄で海外では実年齢よりも若く見られることが多かったそうです。
なので、馬鹿にされないように本物のジュエリーを身に着けたいけれど、小粒で貧相なものばかりしか買えなかった。
それなら、「フェイクでも派手で大きなアクセサリーのような気軽さで、本格的なジュエリーを楽しみたい!」という気持ちでトラベルジュエリーのお店「CLUB SAH」を経営されているそうです。
宮澤エマさんの母親は実業家ということでした。
実は、宮澤エマさんのお姉さんも凄い経歴をお持ちです。
続けてご紹介していきます。
宮澤エマの姉は才女で実業家だった
宮澤エマさんは、お姉さんが一人います。
お姉さんの名前は、ラフルアー宮澤沙羅さん。
お姉さんも実業家としてアパレルブランド「エムエムラフルアー」の最高経営責任者(CEO)を務めています。
同ブランドのCEOとして活躍する傍ら、3児の母でもあるそうです。
ラフルアー宮澤沙羅さん
らふるあー・みやざわ・さら●ハーバード大学卒業後、ベイン&カンパニーなどに勤務。2013年、働く女性のビジネスウエアの悩みを解決したいと、D2Cアパレル企業「エムエムラフルアー」をニューヨークで設立。
引用元:25ans ヴァン・サンカン
ハーバード大学卒の才女で実業家のお姉さんですね。
また更に凄いのは、宮澤エマさんの母方の祖父は、元総理を務めた宮澤喜一さん。
続けてご紹介していきます。
宮澤エマの母方の祖父は、元総理の宮澤喜一
宮澤エマさんの母方の祖父は、第78代内閣総理大臣を務めた宮澤喜一さんです。
宮澤エマさんは、ニッポン放送「笑福亭鶴瓶 日曜日のそれ」(日曜後4・00)にゲスト出演した際、祖父の宮沢喜一元さんとの思い出を語っています。
宮澤エマさんにとって祖父の宮澤喜一さんは、優しい普通のおじいちゃんだったそうです。
喜一氏は宮澤の母方の祖父で、宮澤が18歳の時に死去した。「圧倒的に子供時代に過ごした印象が多いので、優しいおじいちゃんという思い出しかないですね」。仕事と家庭を分けるタイプで、「プライベートな姿しか見ていないんです」と振り返った。
引用元:スポニチ
そして、祖父の宮澤喜一さんは外交官だった父親と英語で政治の話をしていたそうです。
多忙だった祖父の宮澤喜一さんと、旅行は1回しか行ったことがないと語っています。
日曜の晩ご飯は、家族みんなで食卓を囲むのが習慣だったという。「祖父は7時のNHKニュースを見て、それを見終わるとこっちの食卓に来て。父が外交官をしていたので、2人がずっと英語で政治の話をするという。我々は普通の話をするんです。『今日、学校で何があった』とか。しばらくすると会話に入って来て」と、家族の団らんを振り返っていた。
喜一氏は政治家として多忙な日々を過ごしていた。宮澤は「祖父はまったく仕事関係の姿っていうのを見せなかったですし、とにかく忙しい人でした。旅行も1回したくらいですし、軽井沢に祖父がいて、遊びに行くみたいなのはあったんですけど」と、貴重な旅の思い出を明かした。
引用元:スポニチ
祖父の宮澤喜一さんと一緒にお買い物に行ったという思い出のエピソードはこちらです。
宮澤が“7歳頃”の誕生日を迎えた日、喜一氏から「何が欲しいの?」と聞かれ、当時大ブームとなっていた「たまごっち」が欲しいと答えたところ、「『今から買いに行こう』って急に言い出して。SPさんを引き連れて、原宿のおもちゃ屋さんめがけて」ということに。まだ幼かった宮澤は祖父の存在や立場をあまり理解していなかったとするものの、「原宿の町を歩いていると、モーセの十戒みたいに人が開けていって。“私のおじいちゃんヤバくない?”って気付いて。あれはビックリしました」と通行人の反応で祖父の“ヤバさ”を知ったという。
引用元:LINEニュース
おもちゃ屋には到着したが、店にはたまごっちを我先に買おうとする大勢の客で行列が。宮澤は「どうするんだろうって思っていたら、おじいちゃんがすごい大きな声で『たまごっちください!』って言った。みんな並んでいるのに、何を言い出すんだろうって。店員さんも権力に屈したらいけないと思ったと思うんですけど、『並んでください』って言って。その日は別のものにしてって、帰ったんですけど」と結局たまごっちは買えずに終わったと説明した。
「その後、喜一氏のさすがの影響力によって、無事に宮澤はたまごっちをゲット。なんと、喜一氏による原宿の買い物風景が写真付きでメディアに報じられたことで、『後日、バンダイさんから、たまごっちが送られてきました』と明かし、『いちばんの私の自慢エピソードです、これが』と話していました。
SPさんを引き連れて原宿にお買い物、凄いですね!
プライベートでは、孫思いの優しいおじいちゃんだったことがわかりました。
まとめ
こちらの記事もどうぞ↓
今回は、宮澤エマさんのハーフで華麗な家系図についてご紹介しました。
宮澤エマさんの父親はアメリカ人で元外交官、母親は日本人で実業家、姉も実業家、祖父は元総理の宮澤喜一さんという華麗な家系だということがわかりました。
もっと、ご家族の話を聞いてみたいですね!
今後の宮澤エマさんのご活躍も楽しみです。
今日は以上となります。
最後までお読みいただきありがとうございました。
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